光がほどける、その時に。【後編】




無言のままのと俺の間を風が幾度も通り過ぎ、空の色が夜の闇へと変わる頃には
次第に吹く風に冷気が混じるようになっていた。

羽織一枚掛けてやったところで、大して寒さが凌げるわけでもない。
早く連れ帰らねえと。そうは思うが、泣いている時のは強情だ。
揺れる桜の枝を見つめたまま、どうしたものか。と、もう長い時間思案している。



「いつまで・・そこに・・いるつもりですか。」

ここに来てから初めて耳に届いたの声はひどく掠れていた。

「さあな。」


――やっとか。
寝転がったまま、漸く沈黙を破ったの方に視線を向けると
は先程と同じく顔を埋めたままの姿勢で小さく肩を縮めてから、もう一度膝を抱え直した。


「何も、聞かないんだね。」

――俺から聞いたところで話しゃしねえくせに。
こういう時は黙って傍にいてやるのが一番だと、長年の経験で分かってる。

俺が何も言わずにいると、は顔を伏せたまま月の光に向けて力なく左の手を翳した。
天から降り注ぐ光に指輪が鈍く光る。


「これ。もうつけてちゃいけないんだ。・・分かってるのに。
 どうしても自分で外せなくて。」


泣いてる理由はどうせあいつ絡みだと予測はしていたが、突然の言葉に面食らう。
・・・そういう、ことなのか?
核心に触れたいと心は逸るが、無理に聞き出せばを余計に泣かせてしまうと
結果は見えている。俺は言葉を呑んで、ざわめき出す心を抑えた。


「どうして持って行ってくれなかったんだろう。
私と一緒に忘れられちゃうなんて・・可哀想だよ。残酷だよ・・」

そう言うと、膝から僅かに顔を上げて俺の方にチラと視線を遣した。


「ねえ、これ。・・外して。」


泣き続けた目は暗がりでも分かる程、痛々しくも腫れている。
――こいつ。本格的に泣きやがったな。



「顔。ひでぇな。」


「・・・意地悪。」


は俺を軽く睨むと、顔をまた元の場所に埋めてしまった。
俺は構わずに立ち上がりに近付くと肩を並べるようにして、そこに腰かけた。


「台無しだ。」

言ってから、誤魔化すようにして少し乱暴にの頭を撫でると弱々しい眼差しをゆっくりと
俺に向けてきた。そして再び、あの男に囚われたままの左手を差し出して無言のまま訴えてくる。

指輪をはめてやるってのはあっても、指輪を外してやる男など
そうそういるもんじゃないだろう。傍から見れば滑稽な図だ。
それでも、が真面目な顔して待ってるものだから、俺も仕方ねえと覚悟を決めて
白い柔らかな手に自分の左の手を添えた。
そして。あの日から、の心をひきつけてきた光に手を伸ばす―。

俺の指がその輪に触れた瞬間、ビクッと抵抗するかのようにの手が震えた。


「外したら、泣き止めよ。それで・・忘れろ。」

酷な言葉だと分かってる。
悪い。許して欲しい。

「・・うん。」


白い指から銀の輪が滑り落ちていく様子は意外なほどに呆気なくて、
は光るものがなくなった指を、俺は自分の手に転がる輪を見つめていた。
暫くして、深く息をついたのは同時だった。


「ありがとう。」

小さく告げられた言葉に、返す言葉など見つからない。
一段と強く吹き付けてきた風が二人の間を通り抜けると、が小さな体を震わせてから
こちらを窺うようにして遠慮がちに俺の肩に頭を預けてきた。

「ちょうど良い高さなんだもん。他の人のはね、ちょっと高い。」


「嬉しかねえな。」


肩にかかる重さが懐かしい。
久しぶりに感じるの温もりに、今まで封印してきた想いが抑えきれなくなる。


「あのね。・・ちょっと・・少し・・寂しいかも。
指が軽い。何かが欠けちゃったみたい。」


「。」


――もう、迷う必要なんてねえ。
その瞳が寂しげに見つめる左の手をグッと掴んで引き寄せると
強引に。けれど、想いを込めて口付けた。




「忘れるって言っただろ。」






――その手を捕らえた。









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