頬を染める、ひとひらの。【後編】
ひらりと舞い降りてきた一片の花びらに手を伸ばし、淡いそれを手に収める。
桜の木に背を預け、手の中の薄く柔らかな感触を確かめながら、俺はそのまま目を閉じた。
初めてこの桜の木を見つけたのは、もう随分前になる。
具合の良い木陰が地に伸び、昼寝にもってこいの場所だと。ただそれだけ。
真上から桜の花弁がひらひら舞い散ってくるのも、なかなか風情があっていいものだと思った。
寝転ぶのによい場所を探りながら頑丈そうな木の根に近づくと、先までは陰に隠れて見えなかった場所に
小柄な死神の姿があった。ただ一心に真上の桜を見上げ、そこに座ったまま動く様子はない。
――なんだ先客か。仕方ねえ。
他をあたるかと、俺はその場から立ち去ろうと背を向けた。
「どうぞ。」
少し高めの透き通るような声。思わず振り返ると、その女は自分の隣を指した。
「桜。好きなのでしょ?」
少し首をかしげてから、覗き込むようにして問いかけてくる。
「・・まあ。そうだな。」
どうして、そんなこと言っちまったのか。
頭上で咲いている花にさして興味などなかったはずだ。
「もう随分散ってしまったから。
次は一年後だね。また一年待たなきゃいけない。」
そう言うと、今度はまた黙って上を見上げ始めた。
まるで散りゆく桜を目に焼きつけるかのように。
「明日もここに来る?」
「さあな。」
素っ気無い返答だというのに、なぜだか嬉しそうに笑うもんだから。
次の日も、また次の日もそこに行かなきゃならないような気がした。
サクサクと地を踏みしめる音が近づき、桜の木を挟むようにして背中越しに感じるのは愛しい気配。
「俺は明日から任務で留守にする。だから、を頼む。」
雛森に告げた一言。
「ふ〜ん。そうなんだ。」
雛森なら俺の真意を汲んでくれるはずだと告げた一言。
任せて。と笑みを浮かべて頷いたから、うまく事を運んでくれると信じていた。
苦肉の策だが、これで漸く距離を詰めた。
俺は組んでいた腕に力を込め、より深く目を瞑り、すぐにでもの前に出て行って問い詰めたい
衝動を収めた。
もう少しだけ桜を見せてやりたい。
おそらく我慢していたのだろうから。
しかし、サク、サクと歩を進める音は止まず、俺の思いとは裏腹にの足音は徐々にこちらに
近づいてくる。霊圧を消す俺の存在に気付くはずはなく。
何も知らずに桜の木を一周して回る気かよ。仕方ねえ。
「咲くまでは騒ぐくせに。桜が咲くと黙り込むよな。」
先までの穏やかだった空気が揺れる。
サクッ。途端に、俺のすぐ傍まで辿り着いていたの足音が途切れる。
桜から俺のもとへと下りてきた漆黒の瞳は・・どうして?と、無言のまま俺に問いかけていた。
だが、それは一瞬。
後退るようにして二、三歩俺から離れると、次の瞬間には身を翻していた。
「待てよ。」
咄嗟に掴んだのは左手だった。
急に手を引かれた反動での体がよろめく。
「近くで見たかったんだろ。桜。」
「・・もう、十分だよ。」
の左手が俺から逃れようともがく。
――どうして。
「どうして逃げる?」
掴んだ手に思わず力を込めてしまったからなのか、俺の言葉のせいなのか、
急激にの体から力が抜けて小さな体はくしゃりとその場にしゃがみ込んでしまった。
悪かった。と言えばいいのか。
嫌だったよな。と言えばいいのか。
「・・わからないんだもの。」
小さく紡がれた声を拾い上げる。
困らせたいわけじゃねえのに。
そっと左手を開放してやると、は膝を抱えて座り込み自由になった手を自分の胸元に引き寄せた。
そして、右の手でそれを庇うようにして包み込む。
「あれ。・・捨てちゃった?」
おずおずと問いかけてきたのは、今はもう、その指にはない銀の輪の行方。
「返して欲しいのか?」
ううん。と強く首を振る。
「まだ、忘れてねえのか。」
やや間があってから、首が横に揺れて否定を示す。
「欲しいんなら、やるぞ。・・別の、だがな。」
ぼそりと言い遣って、俺はの隣に少し距離を置いて腰を下ろした。まだ、華奢な肩に力が入っているのが
触れなくとも分かる。
―――ひらり、と桜の花びらが舞い降りて目の前の景色を揺らしていく。
「どうして。・・そんなに優しいの?」
「・・女ってのは、優しい奴が好きなんだろ?
男は本能で知ってんだよ。だから。お前には・・優しくもなる。」
おそらく。今頃、俺の隣で大きな目を見開いてるはずだ。
いい加減気づけよな。反応を確かめるほどの余裕はねえけど。
―――ひらり、ひらりと桜の花びらが二人の間に舞い降りて、空気を柔らかく揺らす。
「あのね。私はね。・・日番谷君の横顔が好きだよ。」
「・・限定かよ。」
「書類見て難しい顔してる時も、いいなって思うよ。」
「ああ。」
「初めて隊長の羽織姿を見た時もね。・・かっこいいなって思ったんだよ。」
「そうかよ。」
「それからね・・」
はそこで言葉をきると、ゆっくりと自分の膝に顔を埋めた。
「このまま。好きになっちゃったら、どうしよう。」
「・・いいんじゃねえか。」
が柔らかに笑ったような気がしたから、隣の肩を引き寄せてそのまま腕の中に納めた。
・・つーか。もう好きなんじゃねえの?
まあ、いい。今更手放すつもりなんてねえし。気長に待っててやる。
――桜の花がこんなにも綺麗なものだと知ったのは、隣に頬を染めた
がいる今日が初めてだと。
いつか、教えてやろうと思う。
有難いことに三人の方から、続きが読みたい。と言って頂けたので、気合入れて書こうと思ったのですが・・・
「これから、甘く幸せになるであろう二人」になっちゃいました。い、いかがでしょうか?
ヒロインは最後まで、こんな感じ。日番谷隊長も主導権を握りきれず・・これからですね。
リクエストして頂いた、香菜様、みらい様、結衣様。ありがとうございました!
もう梅雨入りだというのに、桜満開で書かせて頂きました!
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