冷え切った風の音、色を濃くした闇。冴え渡る月の光。



 残り香に眠る





手元に残していた灯りを落とす前、差し込む光に誘われるまま何気なく明かり窓に足を寄せる。
―――凛とした月だ。
もう少し近く、と窓に乗り出したところで、天上に向けられた視線はすぐに地へと引き戻された。

窓の外から引っかくような奇妙な音が響く。
その音はカリカリ、ではなくモサモサ。

見下ろすと、白い毛並みと弾力のある肉球を持つ手が窓硝子をパタパタと叩く。
妙な音の正体はコイツか。細く長い、猫の手。
無論、猫が自分の意思で叩いたわけでなく、背後から猫を操っていたの顔がひょっこりとこちらを覗いた。

「よかった。まだ起きてた。」

窓を開けてやると、白猫とが体を寄せる。
黒髪に、月の澄んだ光が滑らかに落ちる。

「こんな夜更けに猫と散歩か?」
「それもいいけど。今日はこの子を届けに来たの。」

届けに?と尋ねるより先に、が抱き上げていた猫をこちらに差し出した。
一瞬、鋭い緑の眼がぶつかる。

「ほら。今日からお世話になるんだから。冬獅郎に挨拶は?」
促すようにして、の手が猫に絡められる。

「世話になる?そんな話聞いてねえぞ。」
「あれ。話してなかった?」

「聞いてねえ。お前、また何処かに行くのか?」
「任務だよ。明日から現世任務。今回は長くなりそうなんだ。
・・・だから。宜しくお願いします。」
そう言って、後ろから猫の小さな頭をちょこんと押した。


「いい子でいるんだよ。シロ。」

綺麗な白い毛並み。だから、シロ。はそう言って嬉しそうに名付けた。
白い毛並みに緑の眼。全く、趣味の悪い猫を拾ってきたものだと思う。
更に悪いのは、任務で家を空ける度に“シロ”を俺のところに預けにくることだ。


「こいつ。俺には懐かねえぞ。」

「そんなことないよ。懐いてる。」

が白猫を無理やり押し付けてきたので、仕方なくフサフサとした存在を腕におさめる。
「並ぶとそっくり。素直じゃないところもね。」
満足げにクスクス、と一頻り笑ってから、が白い毛並みに手を伸ばすと
優しく撫でられ、腕の中の猫が気持ちよさそうに緑の眼を細める。

「帰ってきたら、すぐ迎えにくるからね。」

みゃあ、と応えた愛猫から、名残惜しいようにの手が離れていく。



「じゃあね。仲良くしてあげてね。」
「帰るのか?茶ぐらい出すぞ。上がってけ。」

「ううん。もう遅いし、明日も早いから。」
「そうか。なら送ってく。」

「いいよ。寂しくなるから。」

意味を解する前に、の長い髪がくるりと俺の目の前を掠めた。
小さな背が、猫と言葉だけを残して去って行く。


―――まだ言ってねえのに。無事に帰ってこい。と。







手元の灯りを落とし、室内が静かに陰る。
納まりの悪い心のまま、俺は冷たい布団に身を沈めた。

「おい。・・猫。」

呼びかけてから、掛け布団に僅かに隙間をつくってやる。
結果は分かっていた。白猫は俺に視線だけ遣して、部屋の隅にうずくまったまま動く気配はない。
いつだったか、「この子は一人じゃ眠れない」とが言ったものだから、
預けられる度に律儀に呼んでやってるのに。


は、コイツは俺にそっくりだと言うが、俺からすればコイツはにそっくりだ。
素直じゃないところが。
つまりは、俺とは似た者同士なのだろう。


窓から差す光が瞼に刺さるようで意識が冴える。
が任務に出ている間は寝つきが悪い。今夜からまた眠れねえ。
・・しかも長期任務だと言っていたか。

眠るために深く目を閉ざした時、足元から冷たい空気がひやりと流れ込んだ。
次いでモゾモゾと這い上がってくる柔らかでくすぐったい塊。
―――本当に素直じゃねえ。
胸元の少し下辺りに居場所を定めた白猫を引っ張りあげると、ゆっくりと猫の額に顔を押し当てる。
の香りを求めて。
愛しいものを辿る様に。


みゃあ、みゃあ。・・みゃあ。
機嫌を損ねないうちに渋々顔を離す。
「猫臭え。」
呟いてから、柔らかで温かい体をそっと抱き寄せた。



―――今夜から、また落ちつかねえ。





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