近くなのか、遠くなのか。
涼やかに染み入る虫の声が、秋の夜に凛とした風情を残して溶けていく。

辺りには、ひんやりとした空気が漂い、それを心地良いと感じるぐらいに
先までの賑わいとアルコールがの身体を火照せていた。
酔いは深い。眠気に落ちながらも、よろめきながらも、月明かりが頼りの帰路を進む。
正しい方角に向かえているのは、前を行く人が、の左手を無造作に掴んだまま引いてくれるから。
肌が触れ合う部分には、一層の熱がこもる。


闇夜に静寂、そして二人きり。
これだけの要素が揃いながら、流れる空気にちっとも甘さがないのは
手を引くその人の機嫌がすこぶる悪いから。


「とうしろう。」

呼びかけた声が、あまりにもぼんやりとして。
ああ。呂律が回らないというのは、こういうことをいうのか、と思う。

「冬獅郎・・」

目の前には、無言のままの白い背と、ツンと揺れる銀髪と。
ギュウと力を込めて、その手を引くと、更に強い力でグイと引き戻された。
ああ、男の人の力だ。
敵わないな、と思う。いつからだろう。彼のそういう一面に胸が高鳴るようになったのは。
異例の早さでの昇進を臆することもなく受け、まだ年若い容姿には不釣合いの威厳が満ちて・・
冬獅郎は変わってしまった。
――髪型も変わった。統学院の頃は、綺麗に流れる銀髪はさらさらと揺れていたのに。


「昔は可愛かったのに。」
「・・・なんの話だ。」

ようやく、溜息交じりの声が返される。

「どうして変えちゃったの?髪型。」
「うるせえ。男には、可愛げとか、んなもん必要ねえ。」
「男には、ね。冬獅郎でも、女は可愛いのがいいとか思うんだ。」

返答の代わりに、再び、手首が掴まれる。先程までよりも荒く、雑に。
冬獅郎が本当は何を言いたいのかは分かっている。何が機嫌を損ねさせたのかも。
分かってはいるけど・・。


「気をつけろと言ったはずだ。」
「・・気をつけてたよ。」

「気をつけて、あれかよ。」

躊躇っていた本題を唐突に切り出されて、の声がしゅんと陰る。




この時期にも、数名に異動の辞令が出される。今夜は、それに託けた大規模な宴会だった。
がこういう席に顔を出すのは稀な事で、気づいた時には他隊の隊士たちに囲まれていた。
美少女と名高い容姿に似合わず、それなりに酒が嗜めてしまうのを気に入られ、
一体どれだけの量の酒を口にしたかは定かじゃない。酔いを醒ますつもりで、一人夜風に当たって。
・・・気を抜いていたのだと思う。
抱きすくめられた。背後から。知らない霊圧、知らない男の恐いぐらい強い力に。
酔いは、の思考を鈍らせて、身体までも思うように動かなかった。


――あの時、冬獅郎が来てくれなかったら。
ただ一言「帰るぞ」と、の手を引いた背は頼もしかった。今まで見た、どれよりも。




「ごめんなさい。」

今度は、代わりに手首を掴む力が和らいだ。足取りもゆっくりと前を進み始める。


「四番隊には、あんな人いないんだもん。」
「だから、今日は気をつけろと言った。」

「あの人、慌てて逃げて行ったね。隊長だもんね、冬獅郎。」
「たまには羽織も役立つみてえだな。」


隊首羽織だけではない。彼のもつ、他を圧倒する威厳と霊圧と。
格好良かった、と素直に言えるほどには、まだ酔いは足りないらしい。ほう、と淡く息を吐く。


「それからね。ありがとう。・・嬉しかったんだよ。」

ああ。とぶっきら棒に返された声。それを補うように手首の力が解かれ、握り直されたのは掌。

いつまでだろう。こうやって、気に掛けてくれるのは。
いつまでだろう。気安く傍にいられるのは・・・。
今夜は、月の光も秋の香りも、を懐かしいような、切ないような気持ちにさせていく。





日番谷の足取りが不意に動きを止めた。その先には、見慣れた四番隊の宿舎。
――あと少しだけ一緒にいたい。他愛ない話を続けていたい。


「寄ってく?昔みたいに話聞いてよ。」

「あのな。お前は、いつまでガキのつもりだ。」
「違うの?」
「違う、だろうが・・」

言葉を濁し、気まずいように繋いだ手が離れていく。

「怖がってたくせに。そうやって・・・」
「いいもん。冬獅郎なら。」


瞬いた瞳の翡翠がとても綺麗だと、ぼんやり見つめているうち、冬獅郎の瞳が近過ぎる気がして。
ひるんだ瞬間、腕を引かれ、今度はその胸に抱き寄せられていた。


「・・お前。酔い過ぎだ。」

見上げたのと、唇を引き寄せられたのは同時。
触れ合う部分の熱が、全身に巡っていく。

こんなにも簡単に二人の間の平行線は揺らめいて、崩れ去るような危うさを見せるだなんて。
に触れる腕も手も、囁く声も、良く知る冬獅郎のそれとは違う。



「・・憶えてねえ、と。記憶にないと言うなら、同じことは二度としねえ。」

酔っていたから。今夜のことはよく憶えてないの。
次に会う時、もしもがそう言ったなら、今までの親友のまま。
そんな甘い優しさを残して、冬獅郎の温もりが消えていく。


目の前には、先程と同じ、白い背と銀髪と。


「話は、また今度聞いてやる。」

――お前は、早く酔いを醒ませ。振り向かずに去って行く後姿は、殊の外、冷静なようにも見える。
こんなにも動揺しているのは自分だけだろうかと、落ち着かない胸に手をあて、息を漏らした。



今夜は月を眺めていようか。
この酔いが、唇の記憶を奪っていかないように。
そもそも。こんなにも特別な夜に、眠れる訳も無いのだから。







企画【Etoile】/title
淡香の吐息(091018)