「咲くまでには戻る。」

ほんの少し、逸らしていた視線を慌てて元に戻す。
どうして分かってしまうのだろうか。硬く結ばれた桜のつぼみに、僅かに意識を向けただけなのに。

が隣の様子を窺い見ると、今度は翡翠色の瞳が枝先に宿る小さな膨らみを映していた。
去年の桜の日のことを、思い出してくれていたらいいのに。



「どうか、お気をつけて。」
「お前もな。」

「私のはそんな・・」
―――大した任務じゃないです。と言いかけて、は口をつぐんだ。
隊長に対して、任務の大小を口にするなど以ての外。与えられた任務に不服があるようにも
取られかねない。
それから。現世滞在の任務に加えてもらえると思っていたとか、置いていかれると思ったとか、
もうすぐ桜が咲くのにとか。そんな愚かな考えも、胸のうちから消してしまわなければ。


「。」

びくり、と顔をあげる。この呼び方は慣れない。こんなにも嬉しいのに。
いちいち驚くな。と言いながら、日番谷の手がゆっくりとの腕をとった。
触れた腕からは、緊張と不安と自信とが入り混じったような彼の感情が伝わってくる。



「気が早えってことは分かってんだ。」


その人の手のひらで光った銀色に、は息を呑んだ。













邸内から、溢れるようにして路地に伸び出す桜の枝。
屋敷の主は随分前から留守だ。取り残され、それでも健気に咲く花はなんて可憐に見えるのだろうか。
咲き誇る美しい姿を、主に見て欲しかったのだろうに。


崩れるように降ってきた花びらに、が手を伸ばす。
受け止める直前で、ズキ、と左の腕が痛んだ。
―――また、だ。
気に留めるような傷ではない、と軽んじていたけれど。

初めから、身体で感じる痛みの割りには濃いアザだった。
そして、わずかに腕に残る負の気配。前の任務で、虚と接触した際に負った傷だと察しはついていた。
けれど。傷跡は日に日に濃くなっていく。同じように痛みも強くなっている。それに引きずられるかの
ように霊圧が乱れることが多くなった。力もうまくコントロールできない。


ほう、と不安を吐き出すかのように息をつく。


会いたい、と思った。日番谷に会いたいと思った。
まだ、自分の気持ちすら伝えていないのに。応えることも、何もできていないのに。
こんな風になって、初めて想いの大きさに気づいたり、彼を好きだ、と強く思うだなんて。
任務で不在だと知りながらも、の足は日番谷の邸に向かっていた。

一人の花見になってしまったけれど。それでも、今年もここの桜たちに会えて良かった。





「綺麗なもんやね。」


視界に突然現れたのは、白い羽織と銀の色彩。
けれど、それは心に想っていたのとは違う人。


「市丸隊長。おはようございます。」

おはよ、と応えてから、その目に笑みを浮かべてみせる。
にとっては苦手な人物だ。日番谷が警戒する人物なのだと知ってから距離を置くようになったのか、
それとも、その前から本能的に苦手だと感じていたのか。



「綺麗やね。」
「はい。すっかり桜に見とれてしまいました。」

「違うな。ボクが言ったのは、君のことや。」

さらりと落とされた言葉に、は思わず目も見張る。
このペースにのせられてはいけない、と分かっているのに。


「すっかり綺麗になってもうて。なんでやろう?」

日番谷とのことを言っているのだろうか。
恋しているからとか、そういうありふれたことを言いたいのだろうか。
楽しげで、飄々として、何を考えているのかはやはり読めないけれど、どちらにしろ
からかわれ遊ばれているのは確実だ。


「ちゃん、知ってる?女が一番、綺麗に見える時。」
「・・さあ。」


「特別に教えたる。」

浮かべた笑みを深めてから、こちらに来い、と手招くようにしてみせる。
素振りだけという程度に、がそろりと足を差し出す。

その瞬間、の黒髪が揺れた。


―――死に向かってる時、や。


耳元で囁くように告げる声。
いつの間にか、市丸に距離を詰められていた。


「死を予感させる女は、儚く、艶かしいもんや。」


死、という言葉に胸が詰まる。
ずきり、との左腕が痛む。

この痛みは。眠っている間は静かに消え、目が覚めると同時に痛み始める。
まるで生きようとすることを阻むかのように。
霊圧が乱れるのは、少しずつ霊力が落ちているからだと気づいていた。
まるで何かに吸いとられていくかのように。

この世界において、霊力を持たぬ者は命が尽きるのが早い。そのことも脳裏を過ぎり始めていた。


この人は、見抜いているというのだろうか。
不確かな予感と不安を、言い当てられるだなんて。



「気いつけや。」

言葉の後には、先程と変わらない笑みが浮かべられていた。







構想を練っていたのは春でした。もはや、季節外れ・・。
書くのが追いつかないのに季節を織り込みたくなるんですよね。
「さくらのころ」から一年後。「花心」の一年前の話です。
この展開。後半では、隊長がギュってしてくれたら最高ですよね〜。






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