わたしの小さな幸せ。

 愚痴をこぼしてくれること。
 弱音を吐いてくれること。
 他の誰でもない、わたしにだけ甘えてくれること。

 これってまるで。
 『特別』って囁かれ続けているみたいだって、思う。





ささやかな特権






 その書類を一枚、目の前に積み上がった書類の山の上に重ねれば、今日の仕事は終わりだった。
 日番谷の仕事が終わるのを、彼が作業をしている応接用のテーブルの対面でずっと待っていたは、彼が書類から手を離した瞬間に急須に手を伸ばし、新しい湯呑みにお茶を注いで彼に差し出した。

「お疲れさまでした。日番谷隊長」

 後半はずっと疲れた顔をして書類をこなしていた日番谷が、の差し出した湯呑みに顔を上げて、少しホッとしたような顔をした。

「おぅ。……さんきゅ」

 だが、そう答えた彼の声は、疲労を如実に表して控えめだ。
 彼はぐた、とソファの背もたれにもたれかかって、のいれたお茶に口をつけた。
 その後に続く、深い、深いため息。

 そのため息に、日番谷の対面のソファに浅く腰を下ろしながら、は思わず眉を下げた。
 一瞬、その言葉を口にして良いものか迷い、だがやがて口にする。

「隊長……疲れていらっしゃいますね」

 その途端、日番谷はハッとして顔を上げ。
 迷うように視線を揺らしてを見た。

「あー……、あぁ、まぁ……な」

 歯切れの悪い調子で答えが帰って来る。
 けれど、少しの顔を見つめ、何か思い直したように苦笑を漏らして、髪をかきあげた。

「そうだな。さすがに疲れた。……ったく、松本のやつ」
「今日は、一日中働き詰めでいらっしゃいましたから……」

 だから、疲れているのも当然のことかと、は思う。

 日番谷がここまで疲労困憊するほどに働き詰めなのは、何も総隊長が十番隊に無理を強いているとか、そんな理由ではない。
 十番隊では昨日から、副隊長の松本が風邪で欠勤しているのだ。すべてはそれが原因だろう。

 運の悪い事に今は月末で、自動的に書類が増える時期にあたっている。
 副隊長が風邪だからと書類の期日を伸ばせるはずもなく、また、副隊長である松本が処理するような書類ともなれば、下位の席官が簡単に処理できるようなものでもない。
 副隊長以上の上位席官と言えば、隊長である日番谷以外にいるわけもなく、結果、彼はこうして全ての仕事を肩代わりせざるを得なかったというわけだ。

 とは言え、風邪は不可抗力のようなものであるから、松本を責めるわけにもいかない。
 普段は意気揚々とサボる松本も、さすがに今回は欠勤の連絡を入れて来た際には申し訳なさそうにしていたし。
 ただ、十席のを自分の代わりに執務室に置くように手配をしているあたり、さすが副官というべきか、はたまた抜け目ないと言うべきだろうか。

 彼女は、日番谷冬獅郎におけるの立ち位置を良く理解している。



 思案に暮れていたは、日番谷に呼ばれて顔を上げた。
 目の前では日番谷が、先程よりは幾分疲れの和らいだような顔つきをして、を手招いていた。

「ちょっとこっち来い」
「……なんでしょうか?」

 は首を傾げながらソファから立ち上がって、テーブルを回り込んで彼の側に立った。
 どうしたらいいのか分からずに立ち尽くしていると、彼が笑っての手を下に引っぱった。
 反動で、は日番谷の隣に座ることになる。

「バカ。もう勤務は終了だ」

 笑いを含んで彼はそう言うと、の肩に頭をもたせかけた。

「隊長……?」
「疲れた。少しで構わない。こうしててくれ」

 日番谷は言ってちらりと笑みを見せると、静かに目を伏せた。
 ああ、眠るのだ。
 がそう理解した時には、彼はやはり疲れた顔をして規則的な寝息を立てていた。

 疲れてるなぁ、と思う。
 寝ているこの時も眉間の皺が取れていなくて、その皺を伸ばしてやりたい衝動に駆られたけれど、今彼に触れればせっかくの眠りを妨げてしまう気がして、は我慢する。

 肩にかかる、人の頭の重み。
 ハリと艶のある日番谷の髪の毛。
 白い肌。
 目、鼻、唇、頬。そういった顔の造作の一つ一つ。

 今こうしてそれを間近に見ていられる奇跡に、目眩がする。

 と日番谷の関係は、ひどく曖昧だ。
 勤務中はもちろん部下と上司。
 けれど、勤務の時間が解ければ、こうして彼はにより近いところに下りてくる。

 五番隊のあの人のように、幼馴染みであるというわけではない。
 乱菊のように、常に彼のそばにいて彼の補佐をしているわけでもない。

 はただ一介の隊員の一人に過ぎず、特に実力があるわけでもない凉はその勤勉さと丁寧さから官位を上げてはきたけれど、彼に近づく様な事は絶対にないと思っていた。
 けれどそれが覆されて、いつの間にかこんなに近しくなったのはいつのことだっただろう。

 いつの間にか彼は、に目をかけてくれるようになり。
 いつの間にか松本は、自分の代わりとなればを指名するようになり。

 気がつけばこうして、彼は他の隊員には決して見せない素のままの日番谷冬獅郎を、に見せてくれるようになった。

 恋人ではない。
 幼馴染みでもない。
 懐刀というわけでもなく。
 そして、一般にいう部下との関係とも、やはり違う。

 普段は漏らさないような愚痴を、二人きりの時にだけ彼は口にする。
 絶対に誰にも聞かせない様な弱音を、にだけは聞かせてくれる。
 自室ですらみせないような無防備な姿を、この時だけは見せてくれる。

 すべて、にだけ。

 これではまるで、特別、だと。
 そう言われているようで。

 理由が分からなくても。
 この関係に名前がつけられなくても。
 他の誰でもない、にだけ彼が与えてくれたささやかな特権に、ふと心が幸せを感じる。

…………」

 ふと、くぐもった声で横から呼ばれた。

「はい?」

 答えては、思わず目を丸くした。
 そっと首筋に、彼の唇が触れた。

「え……っ」

 眠っていた日番谷が、さっと立ち上がる。
 は彼に触れられた首筋を押さえて、固まった。

「少しだって言っただろ」

 いえ、そういうことではなくて。
 は思わず心の中でそうつぶやいて、に背を向ける彼にそっと尋ねた。

「日番谷隊長は、こういうことを、他のどなたかにもなさるのですか」

 いつも尋ねる。
 新しい彼を、彼が見せるたび。
 滑稽だと思いながら。

 彼はこちらを振り向いて、少し意地の悪い笑みを浮かべる。
 そしてのおでこを、ぴんっと指で跳ねた。


「んなわけねぇだろ。お前だけだ。全部」













あんまり「ささやか」っぽくない特権になってしまったやもしれません;;
「特権」ということだったので、「特権」っぽさを出そうとあえて十席とか遠い立場のヒロインにしてみました。




紅月様のサイトの1周年企画の中で、リクエストした「お題」で紅月様が夢小説を書いて下さる という素敵な企画がありまして。
これは是非とも!と、急いでお題を考えた記憶があります(笑)

私が今、夢サイトを運営しているのも、夢書きをしているのも、全ては紅月様のサイトに出会えたから。
何とも嬉しい贈り物です*

夢小説の中の特権も「ささやか」どころか・・幸せすぎますvもう、何もかもがスペシャル!
紅月様ありがとうございました!





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