さわさわと緩やかな風に吹かれて、空一面に広がるのは淡い桜色。
五番隊の隊舎裏に向けられた小さな窓から、その先を遠慮がちに見つめる少女の姿を見かけたのは
今日で何度目だろうか。
少女は、ふーっと軽く溜息をついてから、無意識のままに右の指でそっと左手の甲を押さえた。


――微笑ましい、と思う。そして、もどかしい。
少しぐらいなら背中を押しても構わないよね?


「ちゃん。行ってあげたら?日番谷君待ってるよ。」


背後から投げかけられた上司の柔らかな声に、少女は驚きで肩を大きく揺らしてから 慌てて振り向き、
見開いたままの大きな瞳で雛森を見上げた。

「ち、違います。桜を・・桜を見てたんです。」

失礼します。と、小さく告げると少女は逃げるようにして、その場から走り去ってしまった。
窓に近づいて外を眺めると、満開の桜の下には仏頂面の幼馴染の姿。




――折角、ちゃんが見てたのに。もう少し愛想のいい顔で待ってればいいのに。

小さく呟く。







頬を染める、ひとひらの。【前編】








「はい。これで今日の書類は全部だよ。」

近頃、頻繁に十番隊の執務室に顔を出すようになった雛森が今日は一段と機嫌がいい。
のことで俺に世話を焼こうとしているのは明らかだ。
松本といい、雛森といい、女ってのは物好きだと思う。今度は一体何を企んでやがるんだか。


「うちの隊の桜、もう咲いてるよ。今が一番見頃かな。」
「知ってる。」

に会うために毎日そこに通ってると。
別に今更、隠す必要なんてねえし。

雛森は一瞬意外だとでも言いたげな表情を浮かべたが、それなら、という風に続けた。

「ねえ、日番谷君。ちゃんと何かあった?」

――問われて。脳裏を過ぎったのは、口付けた柔らかな白い手。


「・・何かって、なんだよ。」
「私が聞いてるの。最近、ちゃんの様子おかしいんだもん。」



あの日から、は桜の木の下に来なくなった。
やっぱり・・あれか。あれが原因なのか?と思う。
――口付けたのが、そんなに嫌だったのかよ。
わからねえ。
――無理に唇を奪ったわけじゃねえし。
のことになると、何も分からなくなる。
直接会って話したいと思うのに、ここのところにはうまく逃げられてばかりだ。




「ちゃんね。毎日、窓から見てるんだよ。桜。」


俺が印を押した書類を揃えながら、昔から変わらない人懐っこい笑みで自分のことのように嬉しそうに話しやがる。
何だかんだ、こいつには敵わないと思うのは、やっぱり雛森がいい奴だからなのだろう。







「なあ、雛森。頼みがある。」










※この話は【text】内にある短編「鈍く光る、その先に。」「光がほどける、その時に。」の続きです。