ささやきは宵に隠して





―――これは困ったことになったかもしれない。

周りの景色も薄っすらとしか見えなくなってきたし、足元もおぼつかない。
意識を手放さないように必死になって頭を回転させようとするけれど、
胃の中の甘ったるく重い感じやら、眠気やらに負けそうになっている。
くらり、と視界が揺れて思わず側の壁に手をついた。支えきれず、寄り掛かるような体勢で
冷たい壁にぺたりと頬を寄せる。火照った頬から熱を吸収してくれるようで気持ちいい。


「おい。」
手にはひんやりとした感触。
「持てるか?」
感触の先には、透明なグラスに注がれた澄んだ液体が揺れている。
手の主の白い羽織が視界に映って、ああ。もう大丈夫だ・・と安堵感が広がる。
藍染隊長は優しいな。心配して来て下さったのだろうか。
・・だけど。何かがおかしい。
藍染隊長なら、「おい。」じゃなくて「大丈夫かい?」のはず。
力を振り絞り白い衣を辿っていくと、そこには困ったような表情でこちらを見下ろす碧緑の眼に、銀の髪。

そうだ。もとはといえば、この方なのだ。
私がこんなにも苦しんでいるのは、今、目の前にいるこの人のせいなのだ。






今日の夕飯は何にしようかと献立を練りながら、帰り支度をしていた夕刻。
「ねえ、さん。この後、予定空いてないかな?」
そこには、いつも以上に上機嫌で微笑を浮かべた雛森副隊長。
「一緒に夕飯でもどう?」
上司ながら、かわいいな。と思う。
勿論、断る理由もなく二つ返事で雛森副隊長の後に着いて行き、美味しいと評判のお店の暖簾をくぐる。
そこまでは順調だったのに。
雛森副隊長が注文していく料理は二人にしては多すぎるし、通された席もあと数名は座れるほどのお座敷で
余裕がある。もしかして、他にも誰か誘ってるのだろうか。そんな予感が過ぎった頃。

「藍染隊長、お待ちしてました!」
可愛らしい声が響き渡ると、そこには紛れも無く優しい笑みを湛えた自隊の隊長の姿。
隊長、副隊長が揃っての食事で、そこになぜ私が呼ばれてしまったのかは検討もつかない。
「ああ、日番谷君!乱菊さん!」
まさか。と思ったのも束の間。雛森副隊長がひらっと席を立ち、向かう先には一際目立つ二人の姿。
副隊長と十番隊の隊長は流魂街からの幼馴染で仲が良いというのは聞いたことがあるけど。
どうしてここに私がいるのか、ますます分からなくなっていく。
隊長格が四人も揃って、しかも囲まれて。ただでさえ、緊張でガチガチだというのに。

「日番谷隊長の席はここですよ。」
松本副隊長がニコニコしながら指差したのは、私の目の前の席。
憧れて止まない美貌のままにサラリとそんなことを言ってのける。
隊長は隊長同士で向き合えばいいのに。もしくは幼馴染の前、副隊長の前が妥当なはず。

「お、お注ぎします。」
差し出されたお猪口に震える手でお酒を注いでみたものの、日番谷隊長はお酒を好まないのか
一度口をつけたきりで進まない様子。無言のままに目の前の料理を突いている。
隣で卓を囲む三人は大賑わいで、時折そちらに相槌を打ちつつも、そろりと視線を正面に戻すと
・・そこに流れるのは沈黙。
正面に座る者として、このまま無視するわけにもいかない。けれど、容易に話かけられる相手でもない。
これは雛森副隊長に助けを求めるしかないと何度も視線を送っているのに、不自然なほどに気づいてもらえない。
暫くの間、黙ったままで何とも気まずい。いよいよ気まずい。
私は沈黙を乗り切るために、手の中のお酒をひたすら口に注いで時間を遣り過ごすことにした。


そう。それが今の元凶。こんなにも酔ってしまったのは初めて。
少し休んできます。と、席を立ったけれど勝手知らぬ店内はやけに広くて、どこを目指せばいいのかも
分からなくなってしまった。






「おい。」
意識が遠くなっていく。瞼も重くなっていく。
「おい。眠っちまったのか?」
日番谷隊長・・すみません。もう声も出ないみたいです。
壁に押し当てていた頭が力を無くして、ゆっくりと地に向かって沈んでいく。
それを支えるかのように力強いものに肩を抱きとめられると、ふいに壁にもたれていた体が引き離された。
。」
―――こんなにも眠いのに胸の鼓動は速まるんだ。

「素面の時は一言も話せねえし。」
次いで、吐き出されたのは深い深い溜息。
「酔ってる時でさえ、何もできねえなんてな。」

日番谷隊長。・・私。今、お訊きしたいことが沢山あります。
話したいことも沢山あるけど。今なら話せそうな気がするけど・・だけど、とても眠いのです。


「次は・・・からな。」
もう、声も届かない。
だけど、直に伝わる感覚だけは分かるみたい。じんわりと抱き寄せられていく感覚。
―――日番谷隊長って、こんなにも温かいんだ。



目が覚めた時、一番に日番谷隊長の顔が浮かびますように。
どうか。この温もりを忘れてしまいませんように。