夜空には、澄み渡る星空を。






大地を叩きつけるでもなく大地を潤すでもなく、しっとりと降る雨は涙に似ている。
偲ぶように落ちる雨は、心から流れ落ちた過去の想いの欠片かもしれない。




「やっぱり降りましたね。雨。」
「やっぱり、なのか?」

立て掛けられた笹の緑に触れていた手を休めて、日番谷隊長が怪訝な表情のままに振り向く。
ここに来る時、傘を持たなかったのだろうか。雨に濡れた死覇装の色はまだ濃くて重い。


「催涙雨って言うんですよ。七夕の日に降る雨は、星のお姫様の涙なんです。
 年に一度の日ですら泣いてるの。だから、雨は・・寂しくて嫌い」

。お前は、また仕様がねえな。」

腕を引かれて抱きしめられた先の胸の硬さとか、背に回された腕の力強さとか
あの人とは違う、その違和感は段々薄れてきているのかもしれない。
むしろ、あの人の感覚がゆっくりと塗り替えられていくようで時々恐くなる。
そっと触れた死覇装は雨の雫でじわりと冷たくなっていた。


「随分、大人しくなったな。」
――抵抗したって、どうせ捕まえようとするくせに。


「隊長は、もっと潔い人だと思ってました。潔くて素敵な人だって。」
「そんな素敵な奴を、あっさり振ったのはどこのどいつだ?」

「どうせ、お前は気に入らないんだろ。だったら、そんな潔さなんて意味ねえな。」
「・・・そろそろ諦めたらいいのに。」

「お前の理由が気に入らねえ。」


腕に込められた力は、恨み言のつもりだろうか。
サアサアと、耳に届くぐらいに雨の音も少し強まったような気がする。



「また誰かを失って苦しむぐらいなら。初めからいらないです。もう誰もいらない。」

ポツリ、ポツリと言い放った後に訪れた沈黙は、
少し厭きれたような、少し怒ったような彼の心を伝えてくる。

「死神なんてのは常に死と隣り合わせだろうが。
それを分かって生きてんだ。お前だけじゃねえ。」

どうして。
逸らしても逸らしても、私を逃がしてはくれないのだろうか。
強く掴んでいた袖から手を解くと、行き場を失った腕が力なく宙を彷徨った。



「いつか言ってやろうと思ってたけどな。
この世にいない男のことを想い続けても、幸せになんかなれねえぞ。」


――ばか。
率直な言葉は時に残酷で。
胸の苦しさに耐え切れず、目の前の肩を強く強く押した。

「ばか。ばか・・言わないで。」

抱き寄せられていた腕が怯んだ隙に、その真っ直ぐなものから逃れ出て背を向けた。
自分から離れたくせに、放り出されたような孤独な気持ちになるのはなぜだろう。
もう泣かないって決めていたのに。強まる雨に促されるように、両の頬に涙がこぼれた。
だから、雨は、苦手。


「もう・・嫌い。」
「格下げかよ。それは・・まずいな。」

気落ちしたような、その声は正直で。私はもっと胸が苦しくなる。こうやって傷つけてしまうのは何度目だろう。
もう何に涙を流しているのか分からなくなってきた。苦しいものは全て、流れ落ちてしまえばいいのに。



空気が揺れて、背後から温かなものが触れる感触。窺うように、髪をすくって。
私が振り払わないのを確かめると、その手は柔らかく髪を撫でた。
こういう時の私の扱いを、隊長はもう心得ているのかもしれない。

「・・悪かった。」


「・・悪くなんて、ないです。」

流れる空白を埋めるのも、また雨の音。
言葉を包むような雨の音に、今度は救われている。










雪見障子に手を掛けて外の景色を覗き込むと、暗闇に静けさが溶けているような空だった。
いつの間にか緩やかだった雨の音さえ耳に届かなくなっていた。




「あれだな。殺風景な笹だ。何も飾りがねえ。」

日番谷隊長の瞳の先には、ここに来た時から気に掛けていた小振りな笹。

「・・飾りじゃないですよ。短冊です。」
「ああ。短冊、書かねえのか?」

「去年願ったことは、叶わなかったもの。」
「・・そうだな。願いなんてのは叶わないものだな。」

真意は分からない。
それでも。否定するでもなく、自然に寄り添ってくれる言葉は深く、優しい。



「文机の上に短冊ありますから、書いてもいいですよ。」

パサっと、紙を拾い上げる音がして、直後、サラサラと笹の葉が音を立てた。
隊長は何を願うというのだろうか。
そっと、視線を向けた先には細い葉に結ばれた短冊が一枚、白紙のままに揺れていた。



「星か何か知らねえが、そんなのが叶えられるぐらいの事なら自分でとっくに叶えてる。」

「いいですね。それ。」
隊長らしい言葉に、つい頬が緩んでしまうのが分かる。
「私は叶えたいことが沢山有りすぎて。星に願ってたら何年かかるか分かりませんから。」


「その沢山に。俺絡みのことはねえのかよ。」

文机の上に散らばった鮮やかな色紙に手を伸ばし、その中の一枚を無造作に掴むと
私の目の前に碧の短冊が差し出された。

「星に願うよりは確実だ。」

押し付けられるようにして、私の掌にあるのは願いが叶うという短冊。
隊長が願いを叶えてくれるという短冊。



「俺はそんなに待てねえからな。早く決めろよ。」
「・・嘘。隊長が短気だったら、私のことなんて、もうとっくに忘れてますよ。」

「それぐらい、お前のことは例外だと思っとけ。」


見上げるより先に、私の頭は再び隊長の胸に納められていた。
いつもより頭を強く抑えられているのは、今更照れ隠しのつもりだろうか。
再び納められたその場所は、前よりも居心地が良くなっている。
ここを。私の居場所にしてもいいのだろうか。

・・・好きだからこそ恐いのだと、いっそのこと告げてしまえばいいのに。
もう大切になってしまったから、失うのが恐いのだと言えたらいいのに。
そうしたら、隊長は不安ごと私をきつく抱きしめてくれるはず。

素直になりたい。
強くなりたい。
願い事は沢山あって。
だけど、一つだけ叶うなら。





―――夜空には、澄み渡る星空を。
来年もまた。あなたの傍にいたい。










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