あの人が好きだと言ったから、月の光は私の特別になった。
今は、どうだろう。月の姿は変わっただろうか。

――あの日と同じ月を見ている。





寒月に似て、愛しき。




無理やり押し込められている布団から、温かな色の灯りがさす方へゆっくりと身体を向けてみる。
長いこと眠り続けた身体には、それだけの動作でも鈍く気だるい感覚が返ってきた。
体中がみしみしとして、石みたいに重い。

「・・隊長。」

灯りの下に小さく呼びかけると、書類の束に没頭していた翡翠色の瞳が応えてくれる。
惜しげもなく、すんなりと書類を離れ、こちらに瞳を向けてくれることが嬉しくて
試すように呼びかけてしまうのは、病人の我が侭として許されるのだろうか。

「うん?・・眠れねえのか。」

眠れないというよりも、眠ることに飽きてしまったのだけど。
つまり、もう体が睡眠も休養も必要としてはいないということ。
首まで、すっぽりと掛けられた柔らかな毛布越しにそのことを訴えてみる。

「私、もう治りましたよ。」
「まだだ。大人しくしてろ。」

返ってきたのは淀みない声。この様子では、布団から出してもらえる日はまだ遠いらしい。
それでも、ただ布団に包まっているだけで、優しすぎるこの人が安心してくれるというのなら
言葉のままに従うのも良いかもしれない。そっと、口元を肌に馴染んだ毛布に埋めた。




「隊長。」
・・ん?と、また微かな声が返ってくる。
「好き、ですよ。」
――隊長のこと。というのは言わずにおく。分かっているはずだから。

「・・ああ。」
返答は昨夜と同じ。ううん。もっと悪くなった。
初めて告げた時は、綺麗な色の瞳を大きく瞬かせてくれた。静かに髪を撫でてくれた。
私が決めた覚悟には、物足りないものだったけど。
・・どうして何も言ってくれないのだろう。
こちらが恥ずかしくなるぐらい「好きだ」とか、そういう言葉をくれた人とは思えない。
我が侭を言って傷付けても、抱きしめてくれたのに。


「もう、いらなくなっちゃいました?」
――私のこと。というのは言わずにおく。言葉にするのが恐いから。

「そう見えるか?」
「・・少しぐらい。嬉しそうにしてくれてもいいのに。」

「お前の本心の言葉なら、な。」

今度は、私が瞳を瞬かせる番だ。

「弱ってんだろ。うわ言みてえに、言ってんじゃねえのか。」
「・・風邪ひいたぐらいで、こんなこと言いません。」


「そうじゃねえ。」

分厚い書類の束を手元から投げ出すと、息を吐くのと同時に翡翠の瞳が伏せられた。
寒空に冴える月の光が、日番谷隊長の白銀の髪にまで届いて綺麗に照らす。


「一年、だろ。」

「・・覚えてました?」
「当たり前だ。」

あの人がいなくなって。
それから、隊長が傍にいてくれるようになって、一年の日。
私にとっては特別な人で、隊長にとっては部下だった。


「でも。嘘じゃないです。」
ん。と、無機質な声が返される。

「信じてないですね?」
閉ざされた瞳は黙り込んだまま、もう何も応えてはくれない。


弱っている、というのは事実なのだと思う。
あの日と同じ色の月を見る度に、心が揺らぐのを止めることもできないし。
揺らいだ脆い心は、どうしようもない心細さが通り過ぎるのをただ耐えるように待っていた。
そう。ここ数日の私は隙だらけだったはず。そこに踏み込むことをしないで、寧ろ離れて見守るように してるのは、
隊長らしいというのか。不器用というのか。


「私は、信じてますよ。今でも傍にいてくれるから。」

翡翠色に、再び私の姿が映し出される。
それだけで心が満たされて、私はつられて素直になれる。


「隊務に就けなくなっても、見捨てずにいてくれたし。」

伸ばされた手が、敷布に散った私の髪を掬うことで応える。


「隊に残れるように、掛け合って手に入れてくれた書類。受け取らなかったのに。」
「・・受け取らなかった、つーか、叩き返しただな。」

「抱き締めてくれても、振り解いたし。」
「暴れたの間違いだろ。」

「想いを伝えてくれたのに、傷つけた・・」
「ああ。見事に振られたな。」


「だから、好きですよ。」
・・ひねくれた奴。そう言いながら、ゆるく髪をひく手すら労わるようで優しい。
一度、幸せを失った者は、幸せに臆病になってしまうのに。
余りあるほど大事にしてくれたから、私はもう一度幸せを願ってしまった。



「隊長のこと、試していたのかも。」

「構わねえよ。」

温まった布団の中から、そっと右の手を取り出して隊長の手に重ねてみる。
重ねた手をどちらからともなく握り合わせていく。

「隊長も試してみればいいのに。」
「お前みたいのを、怖いもの知らずと言うんだ。」

「構わないですよ。」

伸ばされた隊長の腕が背に回され、ゆっくりと肩を抱き起こされる。
眠り続けた私の身体は、それだけでも軋むようで辛いのだけど。
抱き寄せられた拍子。胸元まで半端に掛かった毛布が落とされ、張り詰めた冷気に肩が震えた。

「さっきの余裕はどうした?」
「・・少し、寒かっただけ。」


引き寄せられるようにして視線が絡まる。瞳をとじる。
触れ合う唇にはヒヤリとした感触。
・・まだ熱が残っているのかもしれない。
ぼんやりとした私の思考は、再び落とされた唇に容易く掻き消されていった。
甘やかな口付けは、共有する一瞬一瞬を刻み込んでいくように。私の想いを確かめるように。

「・・嘘じゃねえかもな。」

――信じてくれました?
――俺は疑い深いからな。
抱きしめ合った二人の影が崩れていく。
意図を持って掛けられた重みに、反射的に身体が震える。
逆らうことをせず受け入れた、肩に、背に、触れる敷布はぴりりと冷たい。



「・・。」

頬に触れる手は促すように。

「前言。撤回するならこれが最後だ。」

「・・前言?」
「構わないってやつだ。」

言葉は甘さを含んでいるのに。瞳には強い意思が宿っている。
優しさなのか。念押しなのか。言葉と瞳が食い違うなんて、こんな彼は初めてだ。

「もう、我が侭は言いませんよ。」
「・・なら。これからは俺のをきいてくれ。」


見下ろす翡翠を通り越し、私の手は白銀の髪に触れることで応える。
隊長の瞳と口角が和らぐ。連鎖のように私の心も和らいでいく。



――寒月の光より、今はこの銀色が愛しい。







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