一滴となる、その手前。




「悪い。・・頼む。」



冷たい雨。
秋の雨はどの季節の雨よりも冷たく刺すようだと思う。
今の私に窓の外の雨が一滴でも降り注いだら、私はきっとしおれてしまうのではないだろうか。
窓硝子を伝って地に向かう一滴一滴も、なんだか苦しげに見える。

空も私を囲むものも、なんて灰色。



目の前に横たわる黒髪と白い顔に再び視線を向ける。
「五番隊の副隊長」という肩書きなんて、もうどこかに置き忘れてきたかのように
弱さを曝け出した姿で眠る人。
自分に起きたことなんて、きっと一欠片も理解してないのだろうと思うほど
無邪気にも見えてしまう。
誰かに護られている者の顔。


想いを寄せ慕っていた人に彼女は胸を貫かれて。
その胸を貫いた人に、私が想いを寄せる人は傷付けられた。彼女のために。

私はこの構図に描かれもしないし、入る余地も全くないのに
この場合、一番深く傷付いたのは誰なのだろう?
と、そこから遠い所で胸の痛みに耐えながら思っている。






。ここにいたのか。」


一目惚れ。
いや、初めて会ったわけじゃないから、惚れ直し。のほうが正しい。
統学院の時から日番谷君は女の子たちの憧れの的だったし、
雛森さんの隣から隠れるようにしてその姿を見るだけで、昔から胸がドキドキしたけど。

目を奪われた。
隊長としての風格と、厳しい任務を潜り抜けてきたものがまとう自信と覚悟と。
そして変わらない、静かな翡翠。

「まあ、斬術も白打も昔から苦手だったからな。
 が入れる隊なんてここしかねぇか。」


四番隊の救護詰所で少し大人になった姿で再会して、
それから日番谷君は時々会いに来てくれるようになった。
二人が一緒にいるところを四番隊の同僚や先輩達に冷やかされるようになって、
私はようやく日番谷君が私のことを想ってくれているかもしれない可能性について考えてみた。

そして、あの日。
いつもと変わらない救護詰所で、私の世界を変える言葉を。

「俺は、が好きだ。」

その幸せは少しずつ、私の心に響いていった。


「お前は・・いつまで待たせる気だ?」

そうだね、日番谷君は伝えてくれたのに。
私はまだ、日番谷君に伝えていない。
私だって、あと1週間後には、数日後には・・・
日番谷君の傍にいる自信がついたら「好きです。」って、
ありったけの気持ちを込めて伝えるはずだったのに。



「君が君か。

 なるほど。

 雛森君に少し似ている。」



その言葉を聞いた時、私の心は凍りついた。
藍染隊長の温和な表情を、低く響く声をこんなにも冷たく感じたことはなかった。
確かに、統学院の頃から雛森さんと二人でいると「姉妹みたい」ってよく言われた。
でも、その時までは気付かずにいられたのに。

私は決定的に日番谷君に自分の想いを告げることができなくなった。
雛森さんの隣にいたのが、たまたま私だったから、彼の視界の片隅に私は映ることができて。
私が少しだけ雛森さんに似ていたから、日番谷君は私を・・・
恐くて聞くことなんてできない。
だから、私は伝えられないまま立ち止まってしまった。


ああ。でも、それで良かったのかもしれない。
日番谷君が我を忘れて斬魄刀に手をかけたのは私のためじゃなかった。
日番谷君が命をかけたのも私のためじゃない。

どうして神様は私と日番谷君を最初に出会わせてくれなかったのだろう?
死神でもなく、隊長でもなくて、日番谷君がありのまま一番幸せだった時に傍にいたのは私じゃない。
だから、日番谷君を元気にできるのはいつまでも雛森さんで。

日番谷君が救護室に運ばれてきた時、私がどれだけ心配したか分かっていたはずなのに。
「俺はもういい。」
・・傍にいたかったのに。
私にできたのはあなたの大切な幼馴染の治療にあたることだけ。
私はなんて無力なんだろう。


「悪い。雛森を頼む。」

そして、日番谷君は私を置いて行ってしまった。
彼女のために。私にはあまりにも遠い、現世へ。
私にはただ一言、彼女のための言葉を残して。







「窓の側に居たら冷えるよ。」

人肌ほどの温かな湯のみを私の手に持たせてくれたのは荻堂さんだった。
私の頭を撫でるようにしていた手が、そっと私を包み込んだ。
荻堂八席がいつも以上に優しい。


そういえば、ここのところ伊江村三席も虎鉄副隊長もみんなみんな優しくなって、
私はまたようやく日番谷君が私のことを忘れ去ってしまったかもしれない事実について考えてみた。

そうだ。もう、日番谷君は私のことを考えるのは止めてしまったのだと思う。
答えなんて明白だった。


ちゃん、君は一人じゃないからね。」

遠くで声が聞こえる。
そして、包まれていた暖かさから解放される。
もう一度、私の頭を軽く撫でて、荻堂さんは部屋を出て行ったようだ。

窓硝子の重く苦しげな一滴は変わらず地に吸い込まれていく。



日番谷君が現世から帰ってきた時に最初にその視界に映るのが雛森さんだったとしても、
その視界の片隅に、もう一度私の姿が映ればいい。
今までだって、ずっとそうだったんだ。
それで、また少しでも私のことを思い出してくれたら、それでいい。

だから、私はあれからずっと彼女の傍にいる。これからも。




「私もあなたが好きです。」

そんなありきたりな言葉さえも、今は眩しくて苦しい。





――窓硝子を伝う雨の全てを集めても
 心に秘めた言葉の一滴にも足りない。









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